私の母はエストニアのバルト海に浮かぶキフヌ島という島に生まれました。そこではいまだに女性が普段から昔ながらの民族衣装を身にまとって暮らしているようなところです。
父はエストニアの南部、ラトビアと国境近くのヴォル県の生まれです。ヴォル県では所謂エストニアの一般的な言葉とは異なる発音やリズムの方言が強く残っています。世界を巡ってツアーをしていると、自分の根源的なルーツがこの二点にあることを強く感じます。
私の歌の歌詞のあるものは、第二次大戦の頃にヴォルの詩人によって書かれたものです。それらの詩は1940年、50年代の郊外や森、都市に暮らす人々の生活にまつわるものですが、大きく時代が変わっても、私に強い共感をもって語りかけてきます。その他のエストニアの詩人が書いた詩、自分自身による歌詞においても、親友や家族といった「身近でより親しい存在について捧げられるものである」という点を意識しています。
私は”完璧な音楽”というものを信じません。私にとって音楽とは、非常に個人的なものであり、過去の詩人や、また私の歌を聴いてくれる多くの人々と一緒にすべてのことについて率直に語らう場所であるのです。